言葉なき歌
二十数年前、大学の正門の前で女学生が自費出版の小冊子を売っていた。評判の美人である彼女との接点が欲しいとの単純な気持ちから、わら半紙にコピーした簡単な体裁の本を買った。表紙には「中原中也と私」と記されてあった。これが中也との出会いであった。
略歴を見ると、中也は明治四十年に軍医の長男に生まれ、幼少から試作を始め神童と言われながらも、文学を耽読して落第し放蕩を重ね、三十歳の若さでこの世を去った、とある。

冒頭には次の詩があった。
あれはとほいい処にあるのだけれど
俺は此処で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く葱の根のように
仄かに淡い
−言葉なき歌−より
口ずさむとリズミカルで実に心地よい。均整のとれた詩である。
私は最初の数行に心をひかれた。中也の人生や他の作品について、
いくらかの知識があったならば、ここに語られる「あれ」が必ずしも希望や夢といった明るいものだけではなく、死の世界をも暗示していたことを読み取れたかもしれない。しかし、その時単純に自分の中にある形なき憧れを、この言葉に当てはめてみた。
自分を駆り立てる、はるかな憧れを胸に抱きつつも「空気もかすかに蒼い」頼りなく息苦しい現実の中で、ただ待っている詩人の姿は、未だ将来も漠然として、うつうつとした日々を過ごしていた自分の姿に重なって見えた。それ以来、その少女と再び言葉を交わすことは無かったが、この詩だけはその後も私の心に強く残った。
久しぶりにこの詩を読み返して、改めて深い共感を持つことがでした。
不惑を迎えても、未だに人間関係をうまく保てず、後悔することの繰り返しである。中也と同様に、もどかしく生きている。この詩も続きもまた、私の心を捉えて離さない。
決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女の眼のやうに遥を見遣つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい
