院長の研究発表

21世紀の医療像

サービスとしての医療

深川雅彦

はじめに

先日、検察官の知人から面白い話を聞きました。彼によると、被疑者であれ参考人であれ検察官が人から話を聞くときは、つい最近までドアにプレートで「取調中」と表示されていたそうですが、最近になって「入室をご遠慮下さい」という表示に変わったとのことです。それというのも、話をし終えて取調室から退室しようとした参考人の方が、ドアに「取調中」と表示のあるのを見て、「自分は検察に協力してやっているのに犯人と同列に扱うとは何事か」と猛烈に抗議したからだそうです。  私は、この話を聞いて、検察の世界でも外来の方に対する接し方が変わってきているのだなと思いました。また、これは、どこの世界にも共通する普遍性を帯びた話のようにも思いました。私たち歯科の世界でも、患者さんとの接し方において、歯科医師の側に意識の変革を求められていると感じることがしばしばあり、過去に見られたような権威主義的な歯科医師の態度では、患者さんがついて来られないと思うことがありました。私は、ここでひとつ真剣に歯科医師と患者さんの関係のありようについて考えてみるべきときが来たように思いました。以下の文章は、その点について私がかねて考えてきたものをとりまとめてみたものです。ご一読いただいて、ご批判などいただけたら幸甚に存じます。

現代は医療消費社会

近年、世界では情報のグローバリゼーションと情報産業の進展に伴い、社会を理解する枠組みに著しい変化が起きているように思えます。さらに、そのことが日本の医療現場にも否応のない影響を及ぼしていると思います。歯科医療の現場では、患者さんの歯科医師に対する不信感から治療の中断あるいは転医という事態が頻繁に起きるようになり、極端な例では、医療トラブルや医療過誤訴訟にまで発展するケースが生じるようになりました。報告された医療トラブルを見ますと、患者さんと医師の信頼関係の破綻と思われる案件が相当数目に付きます。具体的に申しますと、医療過誤訴訟事件は、昭和51年に234件の新受(新規に事件を受理したもの)がありましたが、現在では600件と増加しています。この医師不信の背景には、医療が「サービス」業へと変貌し、患者さんの側も医療消費者と化したことが背景にあるように思います。そして、医療不信を招く大きな原因の一つには、患者さんから期待される「サービス」の内容に対する歯科医師側の理解不足もあるのではないでしょうか。のちほど詳しく申し上げるつもりですが、医療の「サービス」業化、患者さんと医師の間の権力変化、患者さんの消費者化、疾病構造の変化、ITによる情報の非対称の減少などといったことが患者さんの行動を左右する決め手になってきているようです。そこで、このような変化を踏まえつつ、患者さんと医師が良好な関係を保ちながら最善の医療を進めていくためには、双方の関係がどのようであったら好ましいのかを次に論じてみます。

医療の「サービス」業化

先ほども申しましたように、医療の消費化は確実に進行しているようです。そうしますと、患者さんと医師との関係が変化していったことの背景にある「消費社会」についての理解が必要と思えます。消費社会とは一体どのようものでしょうか。一般に、消費社会は1920年代にアメリカで出現したと経済学者の間では考えられているようです。当時の消費の特徴は、均一化された物を大量生産大量消費するというものでした。その後、時代の豊かさとともに消費の性格が変化して行きました。現代では、消費の対象は単なる物だけにとどまらず、健康や医療さらには自分自身の身体にまでと拡がってきています。このような消費の様相の変化が、患者さんと医師の関係に微妙に影響を及ぼしているのではないでしょうか。  当然のことではありますが、現代社会では、商品は貨幣価値と交換されています。医療においても同様のことが言えます。医師は自分がおこなった治療に対して報酬を受け取ります。貨幣で受け取るので、これは経済的行為です。このように考えますと、医療は消費財にほかならないと言えます。消費社会においては、医療行為を行う医師は医療サービスの供給者であり、患者はサービスの消費者となります。患者さんが歯科医師を評価する場合には、その技術面だけを評価しているのではなく、歯科医師の人当たりの良さやコミュニケーション能力、さらには治療を受ける際の快適性も重視されるようです。患者さんが医療機関を選択する基準は、これらを全体的にとらえた患者さん側の満足度によるのでしょう。近年、患者さんのそのような選択眼がますます働いてきていると、現場にいる歯科医師の一人として肌身に感じることがしばしばです。そのため歯科医師の側でも、その欲求を満たす努力が求められるのではないでしょうか。

患者の医療消費者化とインフォームド・コンセント

現代の患者さんと医師との関係は、もはや従来の父権主義の支配・従属の二項対立の図式ではなくなりました。患者さんは医師に対等な立場を要求する消費者となってきています。このように、患者さんの視点は従属的な視点から対等の消費者の視点に変わってきています。消費社会においては、医療行為を行う医師・医院は医療サービスの供給者であり、患者さんはサービスの消費者となります。  「インフォームド・コンセント」という言葉はナチスの人体実験への反省に端を発して生まれたとされています。訳しますと、「説明をして患者の同意を取り付ける」という意味になりますが、その意味に従うと、医師の説明を患者さんが十分に理解し納得して初めてインフォームド・コンセントは成り立つのです。ですから、インフォームド・コンセントが成り立つには「患者さんが医師の治療や処置の目的について基本的は情報を与えられ、賛同するまでは医師は患者さんに触れたり治療したりしてはならない」ものでなければなりません。自分の身体に関わる最終決定は患者さん自身が行うという「自律」なのです。生命・身体に直接影響のある医療行為において、十分に適切な説明がなされなければ、患者さんと医師との信頼関係が損なわれることになり、患者さんが医療に不信の念を持つようになります。さらに、歯科医療の世界では、インフォームド・コンセントには特殊性があるということを覚えておかなければなりません。歯科では、本来の意味に加え、治療費は自費か否かという点が重要です。自費治療では、患者さんの側に支払い意識が高まるので保険診療の場合に比べ、「購入」と「契約」の意味合いが強くなってきます。自費治療では治療に緊急性を帯びることは少ないため、患者さんは治療内容の検討や承諾に比較的時間をかけることが多いようです。さらに、最近では複数の医療機関に対し同じ処置について説明を聞く傾向が出てきています。このように自費治療の際に患者さんは治療の詳しい情報を求めてきますし、治療の段になると、歯科医師は歯の色や形あるいは矯正治療後の歯並びについて患者さんから多くの注文を受けることになります。その意味で、自費治療では患者さんの消費者としての意識がより強く表れていると考えることができます。このことから、歯科医師は、他の医療現場より消費社会の影響をより強く受けていると言えるのではないでしょうか。以上の点から、消費社会では、インフォームド・コンセントは、医師の治療方針を患者さんに理解してもらうための手段としての役目を果たすだけではなく、消費者である患者さんの意思を尊重するために、患者さんと医師が医療情報を共有する装置としての役目を果たすのだと言えるのです。  最近、ことさらインフォームド・コンセントが強調される背景には、医療行為の不明瞭さに端を発する、患者さんの医師側に対する不信感があるようです。現代の消費者が生産者に対しいかに強い不信感を抱いているかは、最近の食品表示問題でも明らかです。消費者は生産者のモラル低下を疑っていますから、スーパーなどの食品売り場では、生産者の顔写真や履歴書まで掲げて、消費者の信頼を得ようと躍起になっています。消費社会においては、医療もある意味で食品と同様の消費の対象であり、医療の供給者である医師と消費者である患者さんが直接に情報を交換することで顧客の満足を実現させようとしています。消費者である患者さんの消費心理を理解せずに治療を進めることは医療紛争の原因となります。消費者としての患者さんは、インフォームド・コンセントによって、類型的な扱いから脱却するとともに専門家支配からも解放され、「お任せ医療」から「自分で選ぶ医療」へと自分自身を移行させていると言えるでしょう。

疾病観の変化

従来の医学では、疾病の決定とその治療方針はもっぱら医師の判断によってなされてきました。しかし、グローバリゼーションによる社会の変化によって社会の情報化と消費化が進展したため、歯科の取り扱う治療は多様化し、病気の概念は変化してきています。その結果、患者さん側と医師の側に疾病観の相違があるように思えます。歯科医師は「医療化」により診査診断により疾病を決定しますが、患者さんはまったく違う角度から病気を眺めているのです。医師の疾病観では、「医師は病人を病気という逸脱状態から社会に復帰させるために、普遍的かつ基準化された知識・技術を用いて最良の治療を行う義務を負っている」というパーソンズの役割理論が主流でしたが、急性疾患にかかっている患者さんが医者に全面的に依存するというモデルを中心に考えるパーソンズ理論で現代の歯科治療を説明することは難しいようです。医療界で長年支配的であった役割理論に歯科治療の多くを当てはめることは困難です。それは、歯科に多く見られる審美的要求を満たす治療のように疾病構造そのものに変化があるからです。  「最も早く新しい医療文化が生まれたのは歯科である」と言われています。 例えば、歯科では、「異常な状態」、つまり「正常な状態からの逸脱」である変色歯の漂白を一般医療行為として行ってきましたが、近年、消費者である患者さんは歯の色をより一層白くすることを望むようになってきました。このように、通常の概念の消費は物が商品ですが、現代では身体そのものが消費の対象となってきました。消費者である患者さんはホワイトニングに「純粋, 健康美や若さ」といった「イメージ」を覆い被せて、消費としての医療を受けます。この疾病観のずれが医師と患者さんの意思疎通を阻害し、医師不信による患者離れといった現象を引き起こすのではないでしょうか。「腕」を重視する医師と「サービス」を求める患者さんとの間に感覚の差といったものがあるような気がします。このように疾病構造の変化にともない患者さんの疾病観も変化しているようなので、これが一つの医療機関に患者さんが定着しない一因となっているのかも知れません。医師が自身の医学知識のみに依拠して治療を行うばかりではなく、患者さんの訴えに素直に耳を傾け、患者さんが求めているものは一体何かを汲み取ることも重要となるのでしょう。

ITによる情報の非対称の減少

患者さんの医師へ対する不信は「情報の非対称」が原因の一つと考えられます。「情報の非対称」とは、医療の提供者と消費者の持つ情報との間に落差があるということです。患者さんと医師との関係において、医師が優位となる原因は、専門職としての医師が医学知識情報と医療業務を独占しているからにほかなりません。  しかし,現代は高度に情報化された消費社会なので、消費者は日常的に情報探索のためインターネットを利用します。ホワイトニングに関する知識を得るため、インターネットの検索エンジンの一つであるGoogleで「Whitening」を検索しましたところ、何と19万件もの情報を引き出すことができました。同様に、「ホワイトニング」では21700件、「歯の漂白」では2460件の情報を引き出すことができました。  消費者が必要とする情報は主として治療の内容と費用ですが、歯科医師から発信されるホームページの情報の中には、治療内容の紹介はあっても費用の記載は稀です。医療機関のホームページのホワイトニングや矯正の記事を患者は広告と捉えているのに対して、歯科医師は啓蒙活動であり治療の紹介だと考えていることから、歯を白くする行為を文化的消費の一部と考える患者さんと治療行為と考える歯科医師との間にはまだまだ距離があるようです。ホームページの記事は「情報の非対称」を減少させるのに大きな効果があります。しかし、その一方で、ある歯科医師が他の歯科医師を攻撃する内容のホームページも散見されます。これでは患者さんを混乱させるだけであり、消費者の歯科医療への不信を増長することになりかねません。消費者に必要な情報を提供し、医師と患者さんの間の情報の非対称を減らすという本来の目的に反する効果をもたらしてしまうことになります。

市場主義の影響

日本の医療政策は次第に市場主義の影響を鮮明にしています。市場主義の世界では医療機関も例外なく競争原理に巻き込まれています。ここで消費社会を支える市場主義の理解のために少しスペースを割きたいと思います。  日本では、厚生労働省が主導する「結果の平等」を重んじた国民皆保険があるところへ、株式会社の医療参入等に代表されるアメリカ市場主義を政府主導で導入するという矛盾に満ちた政策が採られつつあります。市場主義とは、競争原理により「機会均等」の上に生じる不平等を容認するというものであり、結果的に弱肉強食の理論なのです。市場主義下では患者さんと医師の関係は、医療サービスにおける消費者と供給者の関係がより強調され、治療内容に対して厳しい評価がなされるようになります。そのため、しばしば患者さんと医師との関係は対立関係になることがあります。事実、米国の医師は平均医療収入の3割を医療訴訟対策として医療保険へ充当しているとのことです。  市場主義は「結果の平等」を否定します。市場主義が国策である以上、健康保険の本人・家族・老人の自己負担率はさらに引き上げられることでしょう。患者負担の比率が上がり、窓口で支払う金額が上昇すればするほど患者さんの受診機会が減ることになります。私には、患者さんが定着せず受診率が下がることで、医療費全体を押し下げられるという官僚の目論見が見て取れるような気がします。小泉内閣の言う「痛み」とは弱者の「痛み」にならないでしょうか。市場主義を採用することで「弱者切捨て」にならないかと心配です。

最後に

より良い医療が行われるためには、現代の患者さんと医師との関係の変化を理解することで、両者が良好な信頼関係を確立することが肝要だと思います。情報の非対称が減少し、歯科医師が消費者と供給者の関係をよく理解することによって患者さんの医師に対する信頼感が生まれ、両者の良好な関係が築かれるのではないでしょうか。



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